永松ゼミ座談会 防災スタンプラリーin三和 準備編


こんにちは。永松ゼミ4回生ゼミ長の遠藤です。
8月ももうすぐ終わり、あっという間に9月ですね。
さて、前回からだいぶ時間が経ち、ブログの更新が滞ってしまいました…。
久々のブログ更新なので…今回は、現4回生が去年の夏から今年の1月にかけて準備し、尼崎の三和本通商店街で開催した「防災スタンプラリーin三和」について、4回生のみんなで座談会を行いました!
準備編と当日編のお話を、今回と次回に分けて更新出来たらなと思います。
準備の段階から、当日にかけて、みんなからたくさんのお話を聞くことができました。私たちがこのイベントを通してどんなことをしたか、そしてどんなことを感じたか、知っていただけると嬉しいです。では早速、「永松ゼミ座談会 防災スタンプラリーin三和 準備編」をお楽しみください。↓

【永松ゼミ座談会 防災スタンプラリーin三和 準備編】

座談会参加者…井内(出版)、伊藤(広報)、遠藤(出版、広報(出版広報ともにデザイン全般))、岡林(出版)、成行(イベント)
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遠藤「はいじゃあ、とりあえず第一回永松ゼミの座談会やっていこうと思います。よろしくお願いします。テーマはイベントの準備!尼崎市で行った三和本通商店街で行った防災イベントの準備について。 出版から何したかな?」

(※私たちはイベントを作り上げる際、「イベント運営班」「広報班」「出版班」のグループに分かれました。)

『出版グループの話』
伊藤「準備何から始まった始まったの?」
井内「まずインタビューしたエピソードを文字にしたよね。」
岡林「そうそう、夏に聞いたやつ。」
遠藤「んで、いつまでにエピソードの文字起こしやってこようって決めたり、文字起こししたものを見て改めて話し合ったような…」
岡林「そんでそっからどうしたっけ?」
遠藤「で、そのエピソード使ってパンフレット作らなあかんくて…なんかパワポでなんか作ったんやったっけ?」
岡林「うん、スタンプラリーやるからさ、それの冊子作るための原稿みたいな感じで作った。」
遠藤「パワポで一生懸命やってさあ。むずかったよなあ 」
井内「そういえばなんか割と計画立ててやったけど、結構なんか文字起こししたエピソードを、インタビューした人に確認しないとあかんかったのに、ぎりぎりになっちゃって。あと誤字とかの確認とかも結構、最後これでいこう!(完成)みたいな時に…」
岡林「意外と難しかったよね。逆によく気づいたなみたいな。ほんまにみんな見逃しちゃってた。尼崎市の人もたぶんだいぶ見てくれてるはずなのに、ギリギリになって気付いて…」
成行「尼崎市の人も、『デジタルと紙で見るとじゃやっぱ違うね(気づかないところに気づける)』みたいな話とか言ってたね」
岡林「言ってた言ってた!」
遠藤「ていうか校閲の面でも、尼崎市の方がめちゃくちゃ丁寧に見てくれてたよね。お世話になりました…」
成行「あとパンフレットの内容についてもう一個…出版の時にやっぱイベント班とのすり合わせが大切だったけど、ちょっとそこがなかなかうまいことが行かないみたいなこともあったけど、うまくいったよね!」
(※パンフレットの内容がイベントの内容と深く関わるため。例えば、パンフレットにイベント内で行うスタンプラリーのルールなどを載せる必要があった。)
遠藤「なかなか難しかったけどね!なんかやっぱそういうほかのグループとの連携とか、なんか情報伝達とかってすごいなんか割となんかズレがあったりとかしてさ、難しかったと思うんだけど、そこをうまくできたのはみんなのおかげやと思うな。今思えば、イベントについて真剣になれたらお互いずれも生じたんやと思う。でも協力して一つの作り上げられたのはよかった。」

『イベント班の話』
成行「じゃあ私はイベント班で一番印象的だったこと言います!イベントの内容をどうするか、みたいなのが、いろいろ考えてたんやけど一旦白紙になってん。それで、もう一回考えることになって…そのタイミングで福島県のフィールドワークに行ったんよね。みんなが福島県に言って、私も行く予定だったけど、まあ私はコロナにかかってしまって行けなくなっちゃって…」
岡林「そうだったよね。」
成行「フィールドワークに行けなかったからこそすごい覚えてるのがあって。なんか行く前はみんなが、イベントで何を伝えるべきかぼんやりとしててみんなわからないままだったけど…フィールドワークから帰ってきてから、これを伝えたい!っていう、すごく考えがまとまってたんだよね。だからこそなんか結構イベント班の中で意見の対立みたいなことが一回起きたんよね。私は、『すごいみんないいこと言ってんな、すごい熱い想いやねんな、だからこそ対立してんな』みたいなことを思って…。なんかすごいそれが印象的でしたって話です!笑」
伊藤「いい話!意見の対立っていうと、具体的には?」
成行「なんかみんなで一個ずつイベントの案を出してこようってなった。主に2つ案が出て、1つめが写真展をして、写真を見せることで震災のリアルを伝える案。2つ目がものを使ったエピソードでなにかやろうっていう案。これに関しては、せっかく夏に被災者の人にものにまつわるエピソード聞かせてもらったし…っていうのもあった。どっちの案も同じものを伝えたいけど、ターゲット層によっては色々問題がある…とか、いろんな意見が出て。で、なんかこう並行平行線やって…その時に4年生の先輩が「両方いい案だから、これを組み合わせたような案ができたらいいんだけどね…」みたいな感じでまとめてくれて、さすが!って思った。その日にイベント班でめっちゃ悩んで…だけどやっぱりゼミのみんなで考えようってなったのも覚えてるなあ。あの日のゼミはみんなほんとに熱くなってたよね。」

『広報班について、大変だったこと』
伊藤「大変やったことみたいなところで言うと、まずなんか結構さ、出版班とイベント班の間では話し合いみたいなの多かったと思うんやけど(※出版班とイベント班は情報共有する部分が多かった)でも広報班だけその2班とは全く別のことしてて~。まあやることが「イベントの告知、宣伝」やったから、後になるにつれて活躍できるみたいなところではあったよね。」
井内「広報班って具体的に何してたっけ?何から始めたん?」
伊藤「なんか、そもそも何すんのやろ?みたいなところから始まって笑 全然状況が把握出来てなかったっていうところがまず大変やって。で、そこから集客するために何しようって考えたのがSNSだった。SNSを使おうってなってからは月に2、3回ぐらい尼崎の商店街に行って商店街の人たちとそうTikTokやったりとか、商店街の写真めっちゃ取って、商店街のいいところを紹介したり…。こうやって紹介したらみんな来てくれるんじゃないか?って思いながらやってたよ。
岡林「SNS、全部で何やってたっけ?」
伊藤「インスタとtwitterとTikTokやね」
成行「TikTok、可愛かった!!笑 商店街のお店の人が踊ってたやつ良かったよね!」
伊藤「あともう一個、結構大変やったなって思うことは…小学校に配るチラシ作りかな。その内容を考えることを結構重視してやってて…。イベントの状況あんま把握してない状態でキャッチコピーも考えなあかんし、ターゲット層とかも考えないとあかんかった。大変やったっていうのが後半で結構大変だったけど、まあ、最終的にはゼミのみんなや尼崎市の職員さんたちがいろいろアドバイスくれて、出来上がった時はすごいうれしかった!って言うのがエピソードです。」
成行「チラシに関しては、りんかちゃん(遠藤)も大変だったんじゃない?」
遠藤「そうやね~。でもチラシとかグッズのデザインは割とすぐできたんよ。でもやっぱり何が大変って、めちゃくちゃ地道なことなんやけど、チラシを見やすくわかりやすくすることがめちゃくちゃ難しかった!どこに文字を置いたらいいかとか、なんかどの色やったら見やすいかなとか、あとチラシの裏面に地図載せたりしたんだけど、ここはもうちょっと大きい方が良いんじゃないか?とかいろいろ考えたなあ」


伊藤「私も一緒にやったけど、大変やったよな笑」
遠藤「どうやったら見る人にわかりやすく情報が伝えられるか、どうやったらみんなが行きたいと思えるチラシになるか、みたいなことをずっと考えてたな~。」
成行「めちゃくちゃ大変そうやったよね」
遠藤「なんかでも…大変だったけど、今思えば楽しかった!チームで人と協力して、大きいことをするっていうことは、ほんまにこの永松ゼミだからこそできたのかなみたいな。貴重な経験ができたな…と思いました。」
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いかがでしたでしょうか?イベントの準備の様子が少しでも伝われば嬉しいです。
次回は「永松ゼミ座談会 防災スタンプラリーin三和 当日編」です。お楽しみに!

(おまけ…準備段階で使用したイラストも載せます!スタンプラリーの冊子の表紙に使われたものです♪)


尼崎市の方との打ち合わせ

こんばんわ。3回生の伊藤です。

11月29日のゼミは、永松先生がいない中でのゼミでしたが、しっかり尼崎市の方と打ち合わせができて一安心です!!

まず、初めにチラシの修正点からみんなで見直しました!スケジュールの見直しや参加特典についてを詳細に資料にまとめてくださってすごく修正しやすかったです。ありがとうございます!!

先生の意見と尼崎市の方の意見を聞きより良いチラシを作るための打ち合わせができました!

イベント班と出版班は事前に用意していた資料から打ち合わせを行いました。開会式や閉会式の詳細・トートバッグ について・予算・実施店舗についてなど確認事項を聞いて話が少し纏まったんじゃないかなと思います!

これからイベントに向けてどんどん忙しくなりますがみんなで頑張っていいイベントにしていきたいです!!

静間研究員による講義

こんにちは四回生の成川です。

私たちは、福島県にある伝承館に訪れました。

関西大学社会安全学部に在学していた静間研究員の話を聞きました。

伝承館がどういう役割を果たしているのかやこれからどのような工夫が必要か理解できました。また、伝承館に対して批判の声も挙がっていることを知り、苦悩も見られました。災害について情報発信する難しさを感じました。

その後、一人一人福島県の街並みに対しての感想を言いました。捉え方や感じ方は人それぞれで新しい視点で捉えることができました。

イベントに向けて

こんにちは。3回生の成行です。

11月15日のゼミでは、前日におこなわれた商店街での話し合いで決まったことなどを共有してもらったのですが、三和本通り商店街の皆さん、尼崎市の方々も熱が入っているようで、私達もさらに頑張ろうと思えました。

そして、広報班はTwitter、Instagram、tiktokを用いて、本格的に三和通り商店街の魅力を発信してくれています!また、りんかちゃん考案キャラクター『さんさん』も誕生し、さらに盛り上がっていきそうです!そして、出版物班も出版物が皆さんに読んで頂けるように工夫をこらし、試行錯誤してくれています!

私はイベント班なので、イベントの詳細を具体的に考えているのですがなかなか難しく、このようにイベントをほぼ真っ新な状態から考え、実現させていくということは初めてなので未知の世界ですが、目的を達成しつつイベントを成功させる為、タイトなスケジュールではありますが、皆で協力し頑張っていきたいです!

Jビレッジに行った

こんにちは、3回生の遠藤です。

私たちはフィールドワーク3日目に、Jビレッジに行きました。
そこでゼミのみんなとサッカーをしました。
サッカーのフィールドが、自分の想像していたものよりはるかに大きくてびっくりしました!!

先生も、ゼミの仲間も(もちろん私も)、めちゃくちゃ走りました。
個人的には、久々に運動したので心も体もすっきりして、とても楽しかったです。
またこういう機会があるといいなあ…と思います。

東日本大震災・原子力災害伝承館

こんにちは。4年生の堀です。

私たちは福島県フィールドワーク2日目に東日本大震災原子力災害伝承館に行きました。

当伝承館は展示や語り部、研究などを通して、未曾有の複合災害について福島の被害や復興についての向き合い方を発信し、防災や減災を国内外に伝える施設です。

復興の象徴として、施設自体が防災の拠点となる造りをしていました。展示映像は最新技術を駆使し、大画面でとても迫力がありました。

展示品は地震前の展示や生活の営みを記すものから、災害後の救出活動や復旧に使用された備品等が展示されていました。また原子力発電の仕組みから福島第一原発の歴史、原発事故によって人々の生活が一変してしまった様子が壁一面に分かりやすく説明されていました。

当施設を見学したことで、地震、そして原発事故によって地域住民の方々が苦しい避難生活と分断を強いられたか知ることで改めて複合災害の恐ろしさを学ぶことができました。

1日目オリエンテーション

こんにちは。4回生の安藤です。

福島フィールドワーク1日目の最初の活動は、永松先生による講義形式のオリエンテーションを行いました。

講義では、福島でのフィールドワークをより有意義なものとするための予備知識として、福島第一原子力発電所事故とそれによりもたらされた災害の全体像とその背景にある問題を学びました。

特に重要なこととして福島では、原発による恩恵を受けていた市町村とそうでない市町村の住民との対立や、賠償金の違いによる被災者同士の対立などによって人々の分断が発生していることを学びました。

これからのフィールドワークでも、福島の背景にある問題について考えながら福島を見聞きして学んでいきたいと思いました。

フィールドワーク2日目振り返り

こんにちは。3回生の伊藤です。

福島県のフィールドワーク2日目の夜に1日の振り返りを行いました!

11/4の2日目は、東京電力廃炉資料館、請戸小学校、東日本大震災・原子力災害伝承館の三つの施設に行きました。また、伝承館からバスで福島県の現在の街並みをガイドさんと見周りました。そこで感じたことや学んだことを一人ずつ言って、みんなで意見交換しました。

「トリチウムは水にほぼ等しいんだ」「東電めっちゃ謝るやん」「ニュースをみて避難しないといけない」など様々な意見が出ました。テレビやネットで知る情報と現地に直接行き知る情報では得られる情報が全然違うことに気づきました。原子力の事故の原因や、原子力発電の仕組み、事故による住民への影響を詳しく学び、感じ方がそれぞれ変わったのではないかなと思います。

意見を出し合った後、永松先生はみんなに「復興って何?」と質問しました。意見を出し合う中で「思ったより復興されていない」と思う人が多かったのですが、確かに先生が言う通り「復興って何?」と聞かれたら難しい質問であると思いました。たんに元の町に戻ることが復興なのだろうか。元に戻りたくても様々な事情で戻れない人もいる。元に戻ることが本当に正しい選択肢なのか。2日目のフィールドワークで見たもの聞いたもの、学んだことから復興がそう簡単に語れることではないのだとみんなが思い考えるきっかけになりました。

横山さん、鈴木さんのお話

こんばんは、4回生の門脇です。

私たちはフィールドワーク3日目に、伝承館で横山さん、鈴木さんから震災当時のお話を伺いました。

横山さんのお話では、「私はいつまで避難者なのか」という悩みが一番印象的でした。災害により地元を離れて暮らすことになったが、仕事をするときは戻ってくる、しかし、そこで暮らすことはできない、といった何とも言えない状況を聞いた時、もし自分がその立場になったとしたら、困惑と不安で押しつぶされてしまうのではないかと感じました。

鈴木さんのお話では、自分が担当しているサッカーチームの生徒が相手チームから「放射能」と言われたことが一番印象的でした。福島の被災者がいじめに遭う、と言うことは聞いていましたが、高校生の間で、部活の練習試合での出来事だと聞いて耳を疑いました。それと同時に怒りと悲しみで心が一杯になりました。

今回、横山さんと鈴木さんのお話で、地震や津波の恐ろしさはもちろんですが、改めて原発事故の与える影響がとても大きなものであると認識することができました。

(横山さんとの写真)
(鈴木さんとの写真)

請戸小学校に行きました

震災遺構浪江町立請戸小学校

こんばんは、4回生の森腰です。

私たちは福島県フィールドワーク2日目に請戸小学校に行きました。

請戸小学校は、東日本大震災後のまま残されている震災遺構です。

震災遺構とは、震災が原因で倒壊した建物などであるが、次世代に向けて震災が起きたという記憶や教訓のために、取り壊さないで保存しておくものです。

震災後のまま残っているため、壁や天井が剥がれ落ち、鉄の枠組みがむき出しになっている教室には瓦礫が散らばっていました。今よりも大きな当時のノートパソコンもロッカーの上に残っており、砂やほこりがかぶっていました。また、壁から引きはがされた複合盤はむき出しになり、傾いたまま機能停止していました。なので、校内に残っている時計はすべて15時37分を刻んだまま停止していました。他にも、黒板には災害後に書かれた文字があり、「がんばれ」「だいじょうぶ」などがびっしりと書かれていました。

中でも私が一番心に残っているのは体育館です。体育館の床は落ちて床下が見えているところもありました。その体育館の舞台には「卒業証書授与式」と書かれた横断幕が吊り下げられていました。それは、卒業式を間近に控えた時に災害が起きたことを意味しており、請戸小学校で卒業式を迎えることができなかった当時の小学校6年生はどういう思いだったのか、考えさせられました。

2階には展示がされており、防災マップや文集、ビデオを見ることができました。そこでも請戸小学校について深く知ることができました。

東日本大震災が発生した2011年、私は小学5年生でした。なので、当時請戸小学校に通っていた人は現在私と同じぐらいの年齢になっていることを思うと、災害の被害がなかった私が生活してきた11年と、請戸小学校に通っていた人たちが生活してきた11年の違いを考えさせられました。

未曽有の大災害と言われることが起きたとしても、防災・減災をすることによりその被害者を減らしていきたいと思いました。